お寺の未来ブログ

シェアリングエコノミー時代のお寺づくり/松本紹圭

2016年12月1日

最近、カーシェアの車をたくさん見かけるようになりましたね。都市部を中心に、車はもはや買うものではなく、借りるものになりつつあります。他にも、AirBnBや、Uberなどの企業を筆頭に、宿泊、自動車、ファッションなど、あらゆる分野でシェアリングサービスが急速に広まっています。その波は企業にとどまらず、個人間で交換や共有を行うシステムも次々と生まれています。数年前まで10%にも満たなかったシェアリングエコノミーは、現在急速に成長しており、ある予測によれば2025年頃にはシェアリングエコノミー市場が世界経済全体の半分を占めるようになると言われています。

シェアリングエコノミーは、今に始まったことではありません。ビデオやレンタカーなどレンタル産業の業態は以前からありますし、「三丁目の夕日」時代までさかのぼれば、昔懐かしい(というか私も知らない世代ですが)「ご近所同士の醤油の貸し借り」なんかもシェアリングエコノミーの一種と言えます。では、なぜ今、シェアリングエコノミーが注目されているのでしょうか。

大きなポイントは、所有の価値観の変化です。

従来のシェアリング、醤油の貸し借りも、レンタルビデオも、レンタカーも、基本的には「もし自分で買えるのなら、ほんとうは買いたいけれど、それほどのお金はないから、借りることで我慢しよう」という価値観の中で成立していました。だから、わかりやすくいえば、お金持ちは、シェアリングしないわけです。欲しいものを自分で買って、好きな時に好きなだけ使い、楽しみます。また、人によっては、「オレはこんなに珍しい高級車を持ってる」「わたしは高価なバッグをこんなにたくさん持ってる」と、それができるだけの経済力があることを周囲に示して優越感に浸るために、買うのです。

しかし今、そのような所有の価値観が少しずつ変わってきています。経済力に関わらず、「自分で持ちたい」と思わない人が増えています。モノを買うことはお金もかかるし、維持するのも負担。それよりも、専門スタッフが維持メンテナンスする共有物を、必要なときに必要なだけ使うほうが、生活が便利で効率的になるし、環境にもいい。それに、そのような価値観を持つ人同士がつながって、コミュニティの結びつきも強くなる。簡単に買えるだけの経済力があっても、シェア利用を選択する人が増えています。法話でよく聞く「人はモノを所有すればするほど、モノに所有される」という仏教的なモノの見方が、だんだん浸透してきたと言えるかもしれません。

この、所有の価値観の変化は、これからのお寺を考える上で、とても重要です。なぜなら、これまでのお寺は、なんだかんだ「ほんとうは自分で持てるなら持ちたい」という従来型の所有の価値観に合わせてやってきたからです。

たとえば、お墓。高度経済成長期などは、マイホームを持つのと同じ感覚で、「自分は次男で東京に出てきたが、今や一国一城の主。自分の代を初代として、xx家の墓を建てよう」というふうに、イエの墓を持つことが一つのステータスとして捉えられた側面もあったでしょう。お寺においても、イエとして檀家を継いでもらうことを重視していることもあり、家族墓が基本とされてきました。共同墓は、何らかの事情があって家族墓が持てない人や家族墓に入れない人のために用意された特別なお墓(≒無縁墓)として位置づけられることがほとんどでした。

しかし、新しい所有の価値観は、「持つことはコストもリスクも大きい。できるだけ自分で持たず、同じ価値観を持つ仲間と共同所有し、信頼できる専門家に管理や運営を任せ、必要なときに必要なだけ利用したい」というものです。

お墓のたとえで言うならば、共同墓の意味が大きく変わってきていることが、そのような所有の価値観の変化を象徴しています。今、多くのお寺で永代供養墓が建てられていますが、従来型の価値観を引きずって共同墓=無縁墓の見方を抜けられないお寺は、たいていうまくいっていません。一方で、しっかり質を高め、共同墓=新しいお墓の所有形態としてポジティブな価値を提示することで、新たなご縁を生んでいるお寺もあります。

米国に続き、シェアリングエコノミーが急成長する入り口段階にある日本において、お寺はどうすべきか。

わたしは、お寺のあり方よりも、お寺の捉え方を変える必要が大きいのではないかと思います。従来の所有の価値観ではなく、新しい所有の価値観に立って、あらためて生活者視点からお寺の価値を考えてみると、いろいろな可能性も見えてきます。

たとえば、仏壇。祖父母から受け継いだ立派な仏壇も、家のスペース上、仏間もないし、維持することができない。しかし、処分するのも忍びない。そこに、もしお寺が、仏壇を預かってくれるとするならば、預けたいという人もいるかもしれません。あまり大きいと、いくらお寺でもそのままは置けないですが、ご本尊とその周辺の大事なパーツだけ縮小移築して、お寺のロッカーに収めることもできるかも? ロッカー式納骨堂に近いですが、「仏壇堂(+納骨機能付き)」という仕組みにしてもいいですね。お寺が「みんなのシェアリング仏壇」になるわけです。

というか、もともとお寺そのものが、シェアリング死者供養の場であり、シェアリング仏壇であり、シェアリング仏間、なんです。従来の価値観においては「仏壇は家の中のミニお寺」と言われてきたので、それと何が違うの?と思われるかもしれませんが、まったく違います。従来は、とにかく生活者視点は関係なく「菩提寺は大事にしましょう」と繰り返され、「家族の心の中心となるミニお寺としての仏壇を、各家庭ひとつ持ちましょう」「ご本山からお迎えした正しいご本尊を安置しましょう」と勧められてきました。しかし、今の人はそもそも、「持ちたくない」んです。自己所有を減らし、できるだけ身軽にスマートに暮らしたいと思っています。でも、間違えてはいけないのは、「持ちたくない=要らない」ではありません。自分の生活の中で、亡き家族に心を向けたり、ご本尊に手を合わせたりすることが、必要ないと言っているわけではないのです。ただ、それに関する空間や施設を自分ひとりで「所有する」のは経済的にも心理的にも重すぎる。かといって、安物のマンション仏壇は中途半端すぎて嫌だ。ならば、専門家のお坊さんが施設のメンテナンスから日々の供養までしっかりやってくれるシェアリング仏壇としてのお寺にまるごと任せるのが安心ではないか? という発想で、お寺を捉えてみては、どうでしょう。

何が変わったのか? お寺のあり方は、何も変わっていません。でも、捉え方が違います。わかりやすくいうと、お寺が発するメッセージが、これまでは「菩提寺を大切にしましょう。そして、家庭の中のミニ菩提寺として、お仏壇を持ちましょう」であったものから、「お寺は縁あるみんなでシェアする供養の場です。お寺の本堂はあなたの家の仏間であり、ご本尊はあなたの家のお仏壇だと思って、必要なときはいつでもお参りしてください。いつでも気持ちよくお参りいただけるよう整えてありますので、手ぶらで来てくださいね。」に変わるようなものです。お寺視点ファーストから、生活者視点ファーストへ。それも、新しい所有の価値観を持つ生活者視点ファーストです。

別の切り口では、「みんなのシェアリング道場」という発想もあり得ますね。近年、ヨガや瞑想が世界的に流行しており、富裕層の中では自宅に「瞑想ルーム」を設けて毎日の日課にする人も出てきています。しかし、よほど経済力がなければ、瞑想だけのために専用の部屋を持つことは難しいのではないでしょうか。というか、経済力に関係なく、持たずに済ませられるのなら持ちたくないし、よりクオリティが高くてコストの低いものがシェアで利用できるのであれば積極的にそちらを選ぶ人たちです。彼らに、「お寺は縁あるみんなでシェアする瞑想の道場です。お寺の本堂はあなたの瞑想ルームと思って、必要なときはいつでも利用してください。自宅の瞑想ルームでは得られない、ぴったりの先生やよい仲間も見つかりますし、ここには仏法僧のすべてが揃っています。瞑想もより深まりますよ」と語ってみたらどうでしょうか。単純に「毎月、座禅会やってます」を繰り返すのと比べて、伝わり方が違ってきませんか?

考えてみれば、お寺はもともと、元祖、日本のシェアリングサービスです。古くは公家や大名が自分の家のために持った菩提寺として建てられたお寺もありますが、コミュニティの拠り所として村人皆で建立・護持されたお寺も少なくありません。そして、江戸時代にいわゆる檀家制度が確立した後は、明治期に入って国の管理を離れていわゆる民営化されてからも、先祖代々檀家として紐付いた菩提寺との関係性が子々孫々まで保たれてきました。その昔は特定の大名だけに支えられていたような由緒寺も、一億総中流時代になれば他にならって数十軒から数百軒という複数の檀家に支えられる檀家寺になっていきました。大勢の家で、お寺シェアリングをしてきたわけです。一方、檀家寺ではありませんが、東大寺のように観光で有名なお寺も、毎日数千、数万と訪れる参拝者の拝観料によって成り立っていると考えれば、「大仏シェアリング」と言えるかもしれません。

シェアリングサービスの提供者に求められる重要な要素として、「信頼」が挙げられます。メディアなどではお寺の信頼が揺らいでいると強調されがちですが、それは問題のある一部のお寺であり、実際ふつう一般のお寺はまだまだその地域社会における信頼は大きいと思います。その点から見ても、シェアリングエコノミーの時代、お寺の可能性はむしろ広がるはずです。

変化の早い時代だからこそ、いつまでも変わらずにある場所があること、変わらずにいてくれる人がいることが、人々の安心を支えます。時代を超えてそのあり方が変わらないことも、お寺の大きな価値です。未来の住職塾でも、お寺のあり方をむやみに変えることは、おすすめしていません。

お寺のあり方を変える前に、まずお寺の捉え方を見直してみませんか?
  

松本紹圭(理事・未来の住職塾 塾長)
東京大学文学部卒。浄土真宗本願寺派光明寺衆徒。インドでMBA取得後、2012年、未来の住職塾を開講。同年、一般社団法人お寺の未来を創業

 
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